yamachan blog  (社会派うどん人の日常)

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【労働書評】カトク 過重労働撲滅特別対策班

労働基準監督官が主人公の小説が7月10日に発売されたので、超速でレビュー。

タイトルは「カトク 過重労働撲滅特別対策班」

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大企業の過重労働を特別捜査する東京労働局「カトク 」班の城木忠司は、今日も働く人びとのために奮闘する! ブラック住宅メーカー、巨大広告代理店、IT系企業に蔓延する長時間労働パワハラ体質。目標達成と、"働き方改革"の間で翻弄されるビジネスパーソン達を前に、城木に出来ることは?時代が待望した文庫版書き下ろし小説。

 

著者である新庄耕さんのデビュー作のタイトルは「狭小邸宅」。ブラック企業と言っても過言ではないような住宅販売会社で働く若手サラリーマンを主人公にした小説で、自分も本棚から取り出して何度か読み直していた本である。主人公とそれを囲む人々の働き方に迫る筆致が異様にリアルだったので、本書ではどのような目線で働く人びとに迫っているのか、かなり期待して読み始めた。

 

○読了直後の所感

読み終えて最初の私のひとりごと→「著者、めっちゃ真面目やわ。かなり緻密な取材をしているな。」

ここ数年、労働行政がメディアを賑わせる頻度が増え、その影響か労働基準監督署が小説やドラマに出てくることも増えたように思う。そのようなエンタメ作品が出てくるのは有り難いことなのだが、往往にして粗探しをしてしまうのが自分のよくない癖。

だが、本作ではそのような野暮なツッコミをすることはほぼなかった。*1

 

法律や労働基準監督官の持つ権限を適切に理解していることが表現の節々から伝わってくるため、私の同業の方たちも安心して読めるのではないかと思う。

とある労働基準監督官を主人公にした小説で「パワハラ労働基準法違反*2」という全くの事実誤認が堂々と載っていて流石にこれは論外と思ったことがあるだけに。

 

 

○労働準監督官をなじる、あるあるな台詞から考えたこと

また、登場人物が労働基準監督官をなじる台詞は、あるあるネタの宝庫である。

 

例えば長時間労働が疑われ捜査対象に上がってきた企業で働く若手労働者からの聞き取り時の台詞。

 単なる組織の歯車なんかじゃなくて、ひとりの個人として本気で挑戦できて、自分を圧倒的なスピードで成長させてくれる環境があるんですよ。

役所にいるとなかなかわからないでしょうけれど。この環境がどれだけ意味のあるものかなんて。

「圧倒的成長」的なフレーズは流石にリアルに聞いたことがないが、「役所の人には分からないですよね」ということは何度言われたことか・・・

 

次に、送致対象者とされた広告代理店の役職者の台詞。

「今更働き方改革だなんだって、欧米の上っ面だけ真似したところで、日本は豊かになんかならない。かえって景気が悪くなるだけだ。それは、経団連も政府も分かってる。だから現にそういう政策をやろうとしてるじゃねえか。

「あんたさ、今・・・うちの部署が担当しているクライアントどこか知ってる?」「官公庁。もちろん、あんたんところの厚生労働省も入っている。大変だよ、お役所は注文が多くて。」

仕事の場では言われたことはないが、ネット上では霞ヶ関の方がひどいやんけとよく話題になっているな。。この言説に対する有効な反論の仕方はいまだにわからない。

 

さらに、長時間労働をさせていた疑いがあるとして取り調べを受けていた女性管理職の台詞。

「うちのチームって、もともと社内で居場所がなくなった人が集まるところだったわけ。」

「よせ集めの部隊任されて、会社からは結果出せって言われて、あんたたちからは法律守れって言われて、どうしろって言うの?おとなしくあんたたちの言うこと守って全然成果出せなくてそれでクビになったら責任とってくれるわけ?」

法律守って会社が潰れたらどうすんの、責任取れるの?!と中小事業主から言われたことは何度もアルね。 

 

とまあ、これらはよく言われることなのだが、これらが全て経営者の台詞ではなく普通の「労働者」であることに、労働環境の病理の一端が垣間見える。「経営者目線を持て」と会社で言われ、自ら進んでそういったタイトルのビジネス書を読んで駆り立てられているビジネスマンも少なくないだろう。

「経営者目線よりもまず最低限の労働者目線を持てよ」と個人的には思うのだが、「働き方改革」が表面的に取り繕われた結果、中間管理職の労働者にしわ寄せがいってしまうおそれもある以上、簡単に斬って捨てることのできない問題である。

 

さらに、労基法上の「使用者」は柔軟な概念で、普通の中間管理職も刑事的責任を問われうる。ひとたび送検に向けた仕事となると労働基準監督官はできる限り上位の責任者を追及するべく取り組むのであるが、刑法上の故意を認定する証拠を取るのはなかなかに困難な仕事でもある。本書の最終章で大手不動産業経営者を追い詰めていくシーンはそのような監督官の仕事の困難さを理解していなければ書けなかったストーリーだと思う。

 

 

○「過重労働を取り締まるポーズをとっている見せかけの組織なのでは」という台詞から考えたこと

物語終盤に挿入された報道機関によるカトク取材シーンで、とある記者が言う台詞も強烈である。

「こう毎度のように不起訴が繰り返されるとどうしても国民の目からは不起訴になると分かっていながらあえてカトクは送検をしているように見えてしまう。(中略)最初から取り締まる気なんかないんじゃないんですか。たとえ起訴となったとしてもですよ、労基法の罰則なんてタカが知れている。大企業にとっては何のペナルティにもなりはしない。だからこの国からは過労死も過労自殺もなくならない。」

「カトクという組織は、過重労働を取り締まるところではなく、単にそのようなポーズをとっている見せかけの組織ではないですか。カトクって何のためにあるんでしょう。政府のための、政府に都合のいいお飾りというのが、実はいつわらざるカトクの姿。ちがいますか」

 

そういえば、ずいぶん昔の私のブログで、「労働基準法はなぜ守られないか〜使用者の認識フローチャートから考える〜」というエントリーを書いたことがある。本当は前後編に分けて、後編では労基法の罰則が軽すぎることが大きな原因だと書こうとしたが、熟慮の末下書きのまま眠っている。労基法の罰則が軽いことを広めることで、遵法状況を悪くすることに加担してしまうのではと思ったからである。労基法の罰則の問題はある程度知られるようになったのかもしれないなと思った。 

 

元に戻すと、法律の条文を理解しただけでは、このような偽悪的とも思えるしかし重大な問題提起を含んだ台詞を登場人物に言わせることはできないと思う。

労基法上の罰則が運用上軽いと思われていること、送検したところで略式起訴に止まる事案も少なくないこと、法人は起訴されても自然人は不起訴になることが多いこと、報道でも強制捜査をピークに、書類送検に止まった場合は報道量が一気に減ること等、労基法違反を巡る実体上の運用の問題点をかなり深いレベルで理解していなければ書けない終盤のストーリー展開は見事だと思う。

  

「過重労働を取り締まるポーズをとっている見せかけの組織ではないのか」という疑念に対し、主人公の上司が胸の熱くなるような返答を返し、小説全体としては労働行政に対する期待の込められた展開で大団円を迎える。

ネタバレになるのでこれ以上は小説を買ってぜひ読んでもらいたい。秀作です。

 

 

*1:野暮なツッコミができなかった本当の理由は、監督業務から離れて1年以上経っており、「カトク」そのものも自分にとって未知の組織であるために、業務内容について突っ込むほどの情報を持ち得ていないというのが正直なところだけれども。

*2:パワハラ民法上の不法行為として損害賠償請求することはできるが、労働基準監督官が刑罰を背景に取り締まることはできない。