【書評】君の働き方に未来はあるか(大内伸哉)
君の働き方に未来はあるか?
ビジネス書・自己啓発書コーナーに置いてある本かと勘違いするタイトルであるが、これは労働法の専門家が書いた新書である。
著者は神戸大学大学院法学研究科の教授。「アモーレと労働法」という甘美なタイトルのブログを執筆されており、私もときどきチェックしている。
この大内教授、労働法学の世界では相当異質な人である。
まず、労働法に限らず、法学部教授が新書を出すことは多くない*1のに対して、彼はここ数年新書レーベルで複数の本を出している。
・どこまでやったらクビになるか―サラリーマンのための労働法入門(新潮新書)
・雇用はなぜ壊れたのか ─会社の論理vs.労働者の論理(ちくま新書)
また、経済学者や人事組織論の研究者とのコラボを意識した著作を出している。彼が編著者となっている「法と経済で読み解く雇用の世界」(有斐閣) はその一例である。
彼の著作スタイルについて述べたのは、彼が労働法学の世界では異質な人物であり、この本の内容が「普通の」労働法学者では絶対に書かないようなものであるということを強調したかったためである。この本からにじみ出る彼のスタンスは、労働法はある種の「パターナリズム」であると喝破する一説を読めば分かる。
「パターナリズム」とは、家父長のように権威のある強者が、弱者に対してその利益に配慮した行動をとることである。
労働法とは、政府が、いわば家父長のごとく、弱者である労働者に対してその自由を制限しながら保護を与えるというものなので、まさに「パターナリズム」なのです。雇傭という働き方には、企業の指揮命令が付着しているので、労働者を弱者に陥らせるものです。したがって、労働法の「パターナリズム」によって弱者である労働者を保護することは、当然のことのように思えます。(中略)
しかし、この「パターナリズム」には、無責任なところがあることに注意する必要があります。弱者を弱者として扱っていれば、いつまでたっても弱者のままです。労働者なんて、弱者から脱却できないに決まっている、資本家に搾取されつづけるだけだーこういう考え方の人もいますが、これに凝り固まっていれば、労働者は永遠に弱者のままです。
これははたして正しい考え方でしょうか。労働者が弱者から脱却できる方法があるのではないでしょうか。それはプロになる、ということなのです。プロになっても、直ちに強者になれるわけではありません。強者になるためのポイントは「転職力」であり、それを身につけて初めて強いプロとなれるのです。(中略)
「パターナリズム」が必要であるとするならば、それは、弱者に対して保護のセットを与えることではありません。保護は、努力する意欲を引き下げます。ほんとうに必要な「パターナリズム」とは、今は弱者であっても、今日じゃになるように懸命な努力をするように導いていくことです。保護は他社によって与えられるのではなく、自分でつかみとるものなのです。*2
この一説、一般論としては納得できる部分は多い。弱者である労働者が、企業に対して交渉力をもつような強者になるためには、彼のいう「プロとしての意識」「転職力」が必要だということに、否定の余地はない。また、ブラック企業から逃げるにしても、条件のよい他の会社に雇傭してもらえるような「転職力」がないと生活の糧を得られないという現実も見据えている点も評価に値する。
ただ、「(労働法の)保護は(労働者が)努力する意欲を引き下げます。」という一文だけはどうしても納得することができない。例えば、最低限の労働条件を確保するための規定である労働基準法が、労働者の努力する意欲を引き下げているようなケースを、私には具体的な問題として想像することができないからである。
この一節のあとに、政府(労働法)から正社員に対する「パターナリズム」についての具体的記述はない。その代わり、企業から正社員に対する「パターナリズム」として、終身雇傭・年功賃金の代償として、正社員の利益が損なわれてきた面があることを強調する。具体的には過労による健康障害や、頻繁な転勤や長時間の残業によるワーク・ライフ・バランスの破壊といったことである。これらの主張は戦後大企業の人事管理の実像を適切にとらえたものであろう。
しかしながら、これらは企業の人事管理の話であり、労働基準法をはじめとする「労働法」とは直接的に関係はない。当然のことだが、労働基準法は最低限の労働条件を定めたものであり、企業によるパターナリズムを規定しているものではない。彼は、労働法と企業の人事管理を同一のものとして意図的に混同している可能性が高い。
◯著者が強調しなかった労働法の意義
労働法の保護は、労働者が努力する意欲を引き下げるのか?私の答えは否である。
労働法はある種の「パターナリズム」かもしれないが、労働者の地位を向上・是正するための武器となり得るものである。決して、労働者自身が努力する意欲を引き下げるようなものではない。残業代未払いや解雇といった労働問題が発生しないように事前抑止しているのは、労働法のパターナリズムであろうが、一旦問題が発生した時には、その法律は性格を変え労働者が手に携える武器となろう。著者にとっては当たり前すぎて、強調する必要がないことなのかもしれないが、労働基準行政の末端として働くものとしては、このことは強調しておきたい。
◯書評まとめ
自己啓発書とそう変わらない結論を出すために労働法学者が本を出す意味はあるのか?
本書を読んで感じたそもそもの違和感はこれである。もちろん本書のバックグラウンドには労働法学があり、ところどころで提示される政策立法論(限定正社員・ホワイトカラーエグゼンプション)には傾聴すべき記述は多い。ただ、著者が熱っぽく語っている箇所はそこではなく、上述したような「プロ」「転職力」である。だが、そこで語られる事柄は、書店に平積みにされている自己啓発本と変わるところは少ない。しかも、転職力の基盤となる「専門性」に関しては認識不足と思えるような記述もある。*3
個人的な考えではあるが、労働法学はパターナリズムと揶揄されようと、弱者の権利を守ることに注力し続けるべきだろうと思う。著者は労働法にはパターナリズム的に追加保護すべき部分は少ないと述べるが、長時間労働に起因する疾患を抑止するために、直接的な労働時間規制が必要だろう。(著者もインターバル規制論を唱えている。)また、セーフティネットとしての労働組合の役割についての記述があったが、それ以上に労働組合を持たない労働者を保護するための従業員代表制の議論も進めるべきだろう。