yamachan blog  (社会派うどん人の日常)

コシのつよいうどんのような、歯ごたえのある記事をお届けします。

「残業税」という残業撲滅アイデア

東京の中野税務署に所属する残業税調査官の矢島顕央は、聴衆の高校生に向かって演台から話をはじめた。

サービス残業は脱税になります。」

「働かせる側はもちろん、働く側も犯罪になります。悪質な場合は、5年以下の懲役、または50万円以上の罰金が科せられるのです。」 

「もっとも、実際には労働者が罰せられるケースは多くはありません。会社が不正を行った場合、社員がそれを申告すれば、残業税を払わなくてもよくなります。不正を行った会社がその分もあわせて払うことになるのです。」

 

もちろんこれはフィクションのお話。残業税調査官というのも架空の職種。過重労働・サービス残業を削減するための法律改正及び公務員の組織改革がなされたという設定で書かれた公務員が主人公のお仕事小説である。

 

題して「残業税(著者:小前亮)」

 

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今回はこの思考実験的な制度について、考察をしてみようと思う。

 

 

◯「残業代」を課す法的意義

残業税制度の概要説明の前に、企業はなぜ労働者に残業代を払わなければならないのだろうか?換言すると、労基法の残業代規定*1の法的意義は何なのだろうか?

 

私見であるが、残業代規定の法的意義は以下の2つだと考える。

①長時間労働の抑制

残業が発生すれば、企業は割増賃金支払い義務が生じるため人件費は増加する。企業は人件費を抑制するために労働時間を削減し、社会全体としては長時間労働の抑制に寄与するという考えである。

②労働者に対する賃金対価の追加補償 

法定労働時間は1日8時間、1週間40時間である。それを超過する労働は労働者にとって苛酷度が増すため、通常の賃金に一定の%を掛けた割増賃金を支払い、過重な労働に賃金をもって報いるという考えである。 

 

 

◯残業代制度に対する懐疑

問題は、現在の残業代制度は長時間労働の抑制に寄与しているのか?ということである。まず、よく言われる反対論として、労働者が自ら②の賃金対価の追加報酬を求めて自ら進んで残業をする場合がある。いわゆる「生活残業」である。労働者が残業代のインセンティブを求める選択をしてしまうと、残業代規定の法的意義の①:長時間労働の抑制という効果を消すどころか、逆効果となってしまう。

また、①に記した長時間労働の抑制という結果が生じるためには、人件費を抑制するために時間労働を削減するという企業行動が欠かせないが、企業は労基法を守らず残業代を支払わないという短絡的な行動とってしまう場合が少なくない。いわゆる「サービス残業」。これを取り締るのが労働基準監督官の役目であるものの、残念ながらサービス残業」の撲滅には至っていない。それが残業代規制と「サービス残業」にかかる現状だ。

 

本書では、上に記した現状を踏まえて、「残業税」という架空の制度を提示している。では、本題の残業税制度の説明に移るとしよう。

 

 

◯「残業税」制度について

この小説の著者小前亮のBlogに概要が記されているので、そのまま引用する。

 

たばこをやめさせるためにたばこ税があるなら、肥満を減らすためにポテトチップス税があるなら、残業を減らすために残業税があってもいいじゃない。というわけで、本作では残業税が導入され、労働改革がなされつつある社会を舞台にしています。

 

・残業税の税率は、月40時間までが20%、月80時間までが40%、それを超えると80%です。これが残業代(法定時間外であれば休出手当なども含む)についてかかります。労使折半で、税金は源泉徴収されます。

サービス残業は脱税であり、労使ともに処罰されます。ただし、違反を労働者が告発した場合および税務署の調査に協力した場合、罪は免除され、税の支払い義務は使用者に移ります。

・税務署所属の残業税調査官と、労働基準監督官がコンビを組んで不正を取り締まります。が、省庁の壁があるので、この両者は一般的に不仲です。

・専門性と公共性の高い公務員は、除外職あるいは免除職と言われ、残業税が免除されます。警察官、消防士、自衛隊員、教師、残業税調査官などです。民間にも免除制度はあります。

ホワイトカラーエグゼンプションの対象となる年収1500万以上の給与所得者は、残業の概念がないので残業税もありません。

 

 

◯「残業税」制度のポイント

「残業税」は労働時間を削減するために、労働者と企業の両方に働きかける効果があると思われる。

 

①労働者の残業インセンティブを削ぐこと

「生活残業」をする労働者がいるのは、割増賃金という形で長時間労働をするインセンティブがあるからである。「残業税」は、労働者と企業の双方に残業税を課すことで、企業には割増賃金支払い義務を残したまま、労働者に支払われる割増賃金額減らすことで、労働者にとってのインセンティブを減らすことになる。

なかなか巧いことを考えたものだなあと思う。だが、残業税というアイデアそのものは、そこまで目新しいものではない。ウェブ上で検索すると、残業税について書かれたブログが散見される。例えばロスジェネ世代の赤木智弘は以下のような提言をしている。

残業代ゼロでなく、残業税の検討を(赤木智弘)

  

②税務署の徴税権という別の権限を併用し、企業に対するペナルティを強化すること

私が評価するのは、既存の取締り機関である労働基準監督署に加えて、税務署職員に与えられた徴税権という別の権限を併用するという視点である。税務署所属の残業税調査官と、労働基準監督官がコンビを組んで不正を取り締まるストーリーとなっているところがこの小説のキモ。

 

多くの人が勘違いしていることであるが、労働基準監督官には、企業に対して未払残業代を直接支払わせる強制権限はない。労基法違反を指摘し法違反状態を是正させるよう指導することはできる。その結果として多くの会社は未払い賃金を支払ってくれるが、強制はできない。なぜなら、労働基準監督官の通常の指導は、強制力を伴わない「行政指導*2であるからだ。 

 しかし、税務職員は「課税処分」という強制的な権限を行使することが可能である。処分とあるようにこれは「行政指導」ではなく「行政処分」である。企業に対して残業代を強制的に支払わせる代わりに、「残業税」を強制的に支払わせるわけである。さらに、企業の遵守度を考える上では、企業が国税を恐れる度合いは労働基準監督署とは比べ物にならないという現実も忘れてはいけない。

 

また、労働基準監督官のマンパワー不足という構造的問題*3を別の公的機関と併用することで解消するという狙いも興味深い。全国約3000人の労働基準監督官に対して、全国の税務署所属職員数は約42,000人もいる。*4その全てが企業査察担当ではないだろうが、人員数は段違いである。省庁の壁を超えて協業することは小説の世界だからできることではあるが、マンパワー問題にまで目を付けて制度設計をしているのは、なかなかのものだと思う。 

 

 

小説の通り「残業税」だけで長時間労働がトントン拍子に削減されるとは思えないものの、思考実験としては興味深く読める本であった。人事関係の方だけでなく、お役所関係の方一般にもおススメ。

 

 

 

*1:労基法第37条第1項 :使用者が、第33条又は前条第1項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。

*2:行政指導とは、日本の行政法学で用いられる概念であり、行政手続法は、行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導・勧告・助言その他の行為であって処分に該当しないものをいうと定義している。(wikipedia参照)

*3:労働者保護 人出足りず  監督官1人に3000事業場…といいつつ(hamachanブログ)

*4:出典:国税庁レポート2015