【まさかの大特集】労基署がやってくる(週刊ダイヤモンド)〜前編〜
今週の週刊ダイヤモンドの特集は
「労基署がやってくる!」
「サービス残業してませんか?」 労基署はある日突然やってくる(週刊ダイヤモンド)
中の人の私にとっては、”週刊誌の特集はある日突然やってくる”といったところ。ブラック企業関連等の記事で労基署のコメントが週刊誌に載ることは、昨今珍しくはないものの、今回はなんと30ページ以上にもわたる大特集。
表紙の監督官イラストがイケてないおっさん風なのは気にかかるが(実際こんな風貌の人は少なくないが…)、内容は充実しており、労働行政に対する期待にとどまらず、現状の行政に対する問題提起まで踏み込んだ記事となっている。
序章:初調査!上場237社の労務実態「わが社に労基署がやってきた」76%
1章:知られざる労基署大解剖
>逮捕もガサ入れもできる!司法警察官「労働Gメン」の仕事
>最低労働条件からメンタルまで〜マルサに迫る労基署の膨張
>ダンダリン原作者現役監督官&覆面座談会
2章:あなたの会社も狙われる
>労働問題の"デパート"ワタミ是正勧告の全容
>メンタル、出向、みなし労働〜三大労務訴訟判決で常識一変
>労基署が目を光らせる4業界
>夢の国にもある労務トラブル〜労働者の賢い戦い方を伝授
3章:最強の対労基署マニュアル
>労基署の是正勧告を丸パクリ〜"臨検常連"大和ハウスの奇策
>労働の専門家も手探り常態〜最新の労基署対策を公開
>モーレツ世代の管理職必見〜シャープ「セルフ労務マニュアル」
終章:労働行政後進国ニッポン〜監督行政のひずみ
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1.「労基署の膨張」というフレーズに対する違和感
「最低労働条件からメンタルまで〜マルサに迫る労基署の膨張」P.42〜P.43より引用
監督官は、企業が労働基準監督法令を順守しているかどうかを調査し、当該企業に違法性が認められれば正すことが、第一義的な仕事である。(中略)
しかし、労働行政に対する社会の要請は、時代とともに変化しているのも事実だ。かつての監督官は、罰則規定のある労働刑法3法(労働基準法、労働安全衛生法、最低賃金法)の主だった条文を頭にたたき込んでおきさえすれば事足りていた部分も多々あった。
ところが近年は、例えば、建設現場における機械設備の技術革新、製造現場に置ける新素材の登場などにより、安衛法の解釈が難しくなってきていたりする。また、就業人口の3分の1が非正社員で占められるようになり、非正規社員を保護する労働法制も増えた。かくして労働者派遣法やパートタイム労働法、育児介護休業法、労働契約法など、さまざまな労働法制が改正ラッシュとなっている。
労働法制の改正ラッシュに加えて、労働問題が複雑化しており、百戦錬磨の現場の監督官たちもさすがに悲鳴を上げている。
取り扱う法律が増えることは確かに大変であるが、それは粛々と個々の監督官が対応すべき話である。それをもって「労基署の膨張」というのはミスリーディングである。なぜなら引用された法令には、監督官が特別な権限を与えるような根拠規定は基本的にないからである。*1労働契約法もパートタイム労働法も、相談がきたら一般的なことには答えるが、調査権限は与えられていない。
現場レベルでの問題は、監督官に特別な権限が与えられていないが、社会から要請されるような事案に対してどう対処するのかということにある。
例えば労働契約法等の監督官に特別の権限がない法令に関する質問が企業側からきた時に、監督官はどう答えるか。
Aさん:坦々と法律の趣旨を説明する。個別事案には立ち入らない。
Bさん:自分は答えず、即座に総合労働相談員*2に話を振る。
Cさん:企業の労務関係の実情を聞き出し、企業に対して個別助言をしようとする。
さて、どれが適切な対応だろうか?
"行政官として" 及第点をもらえない可能性があるのは、最後のCさんであろう。本来、企業側の労務問題に対して回答するのはあくまで、"行政サービス"。調査権限さえないような事柄に対して個別事案で話をしようとすることは、逆に無責任な対応となってしまうリスクを孕んでいる。餅は餅屋的発想で、顧問社労士がいるような場合はそちらに話を振るといった対応をすることもベターな対応だ。
ただ、この記事を読むと、どうにもモヤモヤする部分が残ってしまう。
現実的な解としては、労働行政は、最低基準だけではなく、メンタルヘルスなど、ソフトウェアの領域に踏み込んで労働者を保護していく方向へシフトしていかざるを得ないだろう。少なくとも主要三法の法令順守だけをチェックしていればいい、ということにはならない。
他ならぬ現場の監督官が、「しゃくし定規に法律の判断をしているだけでは、労働環境の改善にはつながらない。社会の要請に応えていくことなしにわれわれの存在意義はない」ともいう。
"突き詰めて考えると監督官が責任の持てない範囲=監督官として特別の権限を持っていない範囲"に監督官が極力タッチしないということと、社会の要請に応じるということは両立するのだろうか。私がモヤモヤしている箇所はそこである。
労働行政といっても監督官だけではないので、監督官以外のリソースと権限を拡充するという戦略はありだろう。記事中では、「厚生労働省職業安定局の雇用指導官(雇用管理改善指導をする)を活用するなど、包括的な仕組みが必要だ。」と述べられている。そのスキームに対する評価はさておき、何でもかんでも監督官にやらせればいいという発想では、社会の要請に応えられないかもしれないとは思う。
まあ、こんなことはもう少し偉くなってから考えればいいことか…
2.監督官に求められる二重人格
これはうまいたとえ話だなあと感嘆する一節があったので、引用しておく。漫画ダンダリンの原作者と現役監督官の覆面座談会に掲載された監督官の生の言葉である。
われわれは、「労働法の警察」の他に、企業が労働法を順守するよう指導する行政官としての役割がある。この仕事を始めたとき、「ああ、自分は二重人格になればいいんだ」と思いました。問題のある企業にはまず、行政官として接する。それじゃあこの企業は変わらないと判断したら、検挙目的に徹する。企業には、「こちらがあなたの話を聞こうとしているうちにやるべきことをやってください。やらなかったら私は変身しますよ」と事前に伝える。
私自身、取り調べの現場に立ち会ったことがないので、諸先輩方が二つの人格を使い分けているか定かではないのだが、確かにそのようなマインドで仕事ができれば、送検事案になるような事案を少しでも事前抑止できるというメリットもあるだろう。
また、最近読みはじめた「労働安全衛生法違反の刑事責任ー総論ー」とかいう監督官しか買わないような専門書にも"二重人格"に近いようなことが書かれてあった。
行政官としての労働基準監督官は、円滑な行政の遂行と行政目的の達成が至上命題であり、安衛法を緩やかに解釈して臨機応変に適用することに慣れていて、刑罰法規として適用する時の厳しさを十分に理解できていない…
この本の著者は、二重人格の片面である検挙目的時に一緒に仕事することになる検察官のOBの方なのだが、その際にはマインドだけでなく、適用する法令の見方までフォームチェンジしなければならないことを説いている。
裏表のないまっすぐ育った人間である私には、なかなか難しそうである。(棒)
さて、まだまだ書きたいことはあるが、文章が長くなりすぎるので、前編はここまで。
後編は、本特集に載せられている大和ハウスの事例をもとに、"企業の人事だからできること"、"監督官だからできること"を考えてみようと思う。企業労務をひとかじりした経験のある私でなければ書けない文章を書くつもりである。
(ハードル上げすぎたかな………)